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今泉公園設計
福岡市にある公園を題材にした提案。当該エリアの歴史風土を読み解き、「脈動」というキーワードを重ねあわせることで季節や天候ごとに様々な導線の中で、様々な風景を体験できるような新たな景観が生み出された。
ファッションショーの大衆鑑賞場
ファッションショーという限られた時間に、限られた観客にしか体験できない劇空間を解体し、新たな体験に再構成するという実験的な装置。銭湯をテーマとした仮想のショーを臨場感を伴った体験として構成されている。
星野道夫に導かれる「無窮の彼方へ流れゆく時の旅」
グリーンランドを旅し、厳しい自然を見て、先住民たちが紡ぎ出した民話・神話・伝説との出会いを、トーテム「リング」として照明として仕立てた作品。自然が持っている回帰性と現代社会の生命に対するメッセージが表されている。
生活から考える「一間半住宅」
家づくりを気軽にするためにのシステム提案。 アイソメ図を用いた家のカタログから、施主が新たな家でどんな生活を送りたいかという観点で家を選べるシステムを構築し、 一例として都心の狭小地のための「一間半住宅」を製作した。
江戸時代に富と繁栄をもたらした北前船の船乗りたち。彼らの偉業を思い起こす場所として、北前船によって最も繁栄した港の一つであった地に記念公園を提案した。園内の建物は木造の北前船のイメージを感じさせるものとし、背部に小高い丘を造成してそれ自体をモニュメントとした。
ハンス・クリスチャン・アンデルセン作より
デンマーク商人の息子とトルコ王族の姫の悲恋を描いた童話、「空とぶトランク」を題材に、プロセニアム・ステージ形式の演劇空間を提案した。この童話がもつ空想的でシリアスな世界観を伝えられるよう、具象的な表現を用いて展開されている。
造形する問いの中で「予測できる快い変化」に興味を持った。作品の周囲を歩きながら見ることによって糸で見立てた海の水面がゆらゆらと動いているように見えるよう、糸をはる方向を計算して変え、錯視を利用した作品を制作をした。
詩人の茨木のり子さんの「さくら」という詩からインスピレーションを受けました。風に吹かれた花びらはきらきらと光を反射し、どこか私たちの知らないところへ飛んでいき密かに終わりを迎えます。死生観に重ねた詩が美しいと感じ、さくらの花びらが舞う軌跡を表現しました。
5人の色彩豊かな画家の作品と人生をモチーフに5つの空間を制作しました。旅の中で得たMuseum体験を基に、作品を次々と見る空間ではなく、「1枚の作品と向き合う空間」を提案しました。
千葉県の理想郷と言われる景勝地に、子供、青年、老人達が集まり、仮初の家族を作り生活する場所を作ります。最小限の個室と広い多目的な単純な空間ですが、大家族のさまざまな日々を見ながら、心を育む家の提案です。
谷崎潤一郎『陰翳礼讃』に影響を受けて静寂さによって感じる心地良さを空間として表現することをテーマに掲げました。障子の組子細工で木々の様子を表し、行灯の組子細工の影で木漏れ日を表現しました。
円環という形を利用した遊歩道を作り出す。まっすぐの通路では交わらない人々が連続した円環の重なりで出会うことにより交流が始まる。「あの町は変だけど好きな町」と評価される提案を行いました。
劇場空間、ホテル宴会場空間、大催事場空間の三つをリアルな模型で再現し、照明や音楽などで、観る人にエンターテインメントの楽しさを疑似体験してもらうことを願って制作した。
食卓は、環境や状況、食事をする人を取り巻く空間によって様々な想いや気配を残します。 映画「裏窓」の登場人物をモチーフに、人物像や状況などが垣間見られる食卓を造形表現しました。
「血の婚礼」に登場する古いアンダルシアの土着的因習に縛られ生きる女たちをモチーフに、二つの対立する考え方を女の顔で表現し、同時に、顔に動的な機能を加え、光演出と合わせて空間表現した。
安部公房の「箱男」の小説を題材に、空き缶によるインスタレーションを展示。 誰もが感じる孤独や閉塞感を、工業製品のような規格化された物質を「圧し潰す」ことで表現した。
函館というまちの歴史を100年以上前から見守ってきた路面電車は、人々の記憶や思い出を優しくつないできた。路面電車がつなぐ 時間の軸 と 場所の軸 函館再発見のプロジェクト。
過去の記憶の痕跡を大切に、山での豊かな自然に囲まれた生活が蘇り、山での生活を次の世代へと繋いでいくという構想が軸となる。住民視点で構想した施設提案。
「私」というフィルターを通して投影された新しい世界を表示する装置。 回り灯篭(走馬灯)を模した装置は、灯りの明滅によって現実世界と新しい世界が交互に重なり合い、私の思いを映し出す。私の体験を皆と共有する試みである。
見上げる視線の先 冷たいような、暖かいような 鋭いような、柔らかいような 知らないような、知っているような 視線の先に意識がとどまる 日常に染まる意識とは違う わたしから浮かび上がる意識 日常の中で生まれた わたし自身という、非日常
「人生は波の様」。波形という視点から、生き方の軌跡を造形化する試み。 自身の生き方をモチーフに、幸福度(10項目)を数値化し、幼少期から現在、そして未来予測までを含めた80年を20枚のプレートに置き直し積層することで、人生を視覚化してみました。
ヒトは年を重ねるごとに、身体は機能不全を起こし、心は劣化します。この試みは、癒し効果を期待する住空間の壁面演出を前提にした壁面素材の提案です。 ブロックは、型押しの手法で採取した透過性のある素材で、様々な表情を表すよう工夫しました。
電線、赤外線、境界線や視線など、生活に溢れる様々な線は、交差や干渉、分岐連結して、モノやコトが生まれ、多様な現代社会に生きるヒトの人格形成に作用している。それらコミュニケーションの線の集積=「SEN」空間に現れる〝私〟の可視化を試みた。
中野区の街中にある中学校の校舎が取り壊され建替えが決まりました。校舎には、建物自体に文化的価値はありませんが、誰もが懐かしく思い共有できる記憶が眠っています。自分の幼少期を振り返りながら、校舎や地域の記憶を紐解き、人と人、人と街がつながり憩えるような空間を創出しました。
淡路島に伝わる郷土芸能「淡路人形浄瑠璃」は、いくつもの文学作品に取り上げられ、その公演風景や、そこに従事する人々が魅力的に描かれています。そんな淡路人形の世界に魅せられて幾度となく旅をし、そこから生まれた思いを三部構成の紀行絵本という形にまとめました。
私たちは豊かな自然を背景に、暮らしの基点となる二十四節季を生み育ててきた。江戸期から始まる庶民文化の代表ともいえる浮世絵(美人画)に想を得て、今回、二十四節季のイメージを造形化することに挑戦した。
主人公ジョバンニの心情に想いを馳せ、この世とあの世を結ぶ空間を、『生と死』の相反する情景を写し出すスクリーンに置き換えることで、「銀河鉄道」のイメージの視覚化を試みた。
花見の名所として江戸庶民から親しまれた飛鳥山公園を描いた浮世絵からインスパイアされた作品。江戸の文化、歴史の時空を超えた歴史軸の軸線状の空間に大小さまざまな現代の「和」の設えで、桜だけでなく1年中花や緑、その場を楽しむ空間をDisplay(演出)する。
六条御息所は燃え盛る嫉妬を持前のプライドの高さゆえ押し殺そうとするが、それでも抑えることのできない心中の焰に翻弄される。能・葵上に展開される女性の悲しみ、情念を絵画・空間構成・照明効果を用いて表現した。
転生を繰り返す主人公と、四つの生死を見つめるもう一人の主人公。それぞれの転生の瞬間は、光に満ちている。ガラス素材に透過する光と影で表現した。
分厚いコンクリートの防潮堤を取り払い、私と海をつなぐ建物(造形)は、時には波を、時には風を感じさせ、私と海をひとつにする。
吉祥寺大正通りは、生活のにおいのするかつての商店街の特徴を色濃く残している。懐かしさと新しさ、プライベートとパブリックが共存する街の特徴を活かしつつ、明日の大正通りを提案する。
伝統に根ざしたライフスタイルと、近代化の狭間で揺れる出身地、ウランバートルが抱える問題を「中間都市」という発想で、問題解決を図る。
都市には人の営みがあり、営みの重なりが都市を作る。人の営みが作り出す様々な「コト」の重なりをフィルムの積層に閉じ込め、定着させることを試みた。
家と家との境界をなす空間“隙き間”には、様々な表情が見てとれる。観察から生まれるイメージは、ファンタジーの世界へと変貌し、妖精たちが繰り広げる世界は、我々の日常の映し鏡として様々な問題を提起する。
“しあわせ”という観念的なテーマを、身の回りにある素材を丹念に紡ぐことで形として表現した。日常に在るありふれたものを、自分自身の手で形にすること。その時間はまさに幸せの時だった。
家々の窓辺に、お店の前に、街角に、小さなポットを育て、繋げる…。私達が、私達の手で、私達のために作るグリーンベルト。緑溢れる鮮やかで穏やかな街を、未来をつくりたい。
自然界の絶妙な色彩バランスを独自のカラーシステムにまとめ、今後の空間デザインに活かしたい。花の持つ華やかな彩りに焦点を当て、100を越える色彩サンプルを集め、独自の色彩体系にまとめた。
エメラルドの魅力は、その内包物が作り出す「JARDIN」と呼ばれる「ゆらぎ」に似た奥深さにある。このゆらぎを、私のイメージの中にある「緑が織りなす庭」として空間に構成した。
従来の住環境が持つ機能はそのままに、「人の暮らし方」、その受け皿となる「住環境」、この二つを繋ぐ「新しいシステム」。三者の関係性を示すことで、もう一つのコミュニティーの在り方が見えてくる。
万葉世界と自己の思いの視覚化。万葉集の持つ詩的世界と、自己の抱く万葉集のイメージを対称させることで生まれる、私なりの新しい万葉の世界の視覚化を試みる。
時間の視覚化。皮膚の経年変化をモチーフに、時間を「変化するもの」として捉え、造形として定着させることを目指した。
気付きの装置。偶然が生み出す美しい光景、そこに立ち会う私たちの意識は深い安心感に包まれる。そんな気付きの装置を提案する。
私自身の存在の構造化。自分自身の「今」を成立させるさまざまな要因を出来事の記憶として捉え、時間と空間と意識のベクトルに分け構成した。
石のイメージを体感する空間。哲学者、ロジェ・カイヨワの詩、「石が書く」との出会い。石の形と石の声が作り出す体感空間を目指した。
玉川上水を独自の視点で解析する。水流や風景を取り込みイメージしてその場で詩を読むように・・・。境界があるともないとも言えない曖昧模糊とした世界、造形とアルゴリズムで再構成を図る。
文化という「記憶」は、人が立ち止まり、集い、会話する事で繋がれてきました。蓄積された記憶の階層を糸で編み、重ねる事で土地の文化を表現しました。
音楽のライブイベントにおける「アーティスト」と「ゲスト」の関係に、「環境」の要素を加える事によって、よりゲストが主体となりうるエンターテインメントの時間と空間を提案しました。
舞台は私の地元の商店街。今は衰退した地場産業である織物の柄をモチーフに、商店街再生の思いを込めた特色ある景観形成を提案しました。
自然と人間が共有している空間の要素と形状について、「もの」がどのように「形」になり、「こと」がどのように「機能」するのか、人間の身体感覚、外的要因、環境に適合しつつ拡張していく様を考察する。
徐々に日常を拡大し、ついには “宇宙の果て”に到達したかと思えば、今度は徐々にミクロの世界を映し出していく。 まるで宇宙全体が1つの輪のように繋がっているようだ。“日常”に焦点を当て、宇宙の果ての表現を試みた。
宮沢賢治の短編童話「やまなし」の世界を空間化する。何かの命で、何かが生きながらえる。しかし連鎖は、この命だけに限らない。半透明ストローの集合体を覗くと、光でつながった世界が見えてくる。
「テンランカイのヱ」は、組曲『展覧会の絵』をモチーフとして聴覚イメージによる<音楽の空間性>を視覚的に表現しようという試み。音楽の持つ時間的な広がりと、響きあう形を空間の構成として表現した。
機能重視で造られた都市環境にも、隠れた様々な魅力ある空間が観てとれる。身近な住環境に光を当て、見落としがちな空間の楽しさ、美しさを顕在化させ、体感することで見えてくる、再発見のための周遊庭園。
三鷹駅から南へ延びる中央通り商店街の再生計画。飛翔する鷹の姿を造形の種とし、商空間+住空間という機能を保ちながら三鷹のアイデンティティといえる水と緑のある「ミタカノカタチ」を提案。
人と人との間、いろんな意味の「間」どちらでもありどちらでもない「空間」足したり、抜いたり、離れたり、くっついたり、間が間を作り、間が気持ちをつなげる。間が間を豊かにし、生活を人生を豊かにする。
幸せを感じる時や、感じる大きさも人様々。幸せを感じる形や動きをスケッチから抽出した。乱れていたものが整う、平坦だったものが波打つ。幸せを感得するコミュニケーション空間を目指した。
戦国城下町の不規則な道と、酒蔵から漂う麹の香。「かつて酒蔵も街中も僕らの遊び場だった…」ずっと変わらないもの、あそびの心を呼び覚ます風景。この姿を大切にしてきた、この街に惹かれた私からの提案。
揺らめいたり、漂ったり、移ろいの表情を見せる自然。人為の及ばぬ自然界の様々な表情を縞干渉(モアレ)を用いて再現する。ゲストの移動と共に揺らめいたり、漂ったり、様々に表情を変えるモアレの杜へのいざない。
京王線で新宿より急行で10分のところに「桜上水駅」がある。街形成の過程から、住宅分譲計画が先にあり、後から駅が計画されたと推測される。街の仕組みを読み解き、解決策を提案しながら空間を演出する。
空間は人と人、人とものの出会いの場である。子供の頃見上げた空、遊んだ広場、次世代への繋がり。一人ひとりの思い出がつくり出される空間をさいたま新都心に「天の原への辻」の広場として提案する。
金沢の文豪―室生犀星をモチーフとし、犀星のココロや視線の先にあるものを通して、日本の風土独特の美意識を表現した。
Burnettの著書をもとに、私の秘密の花園を空間にしました。萌芽・叢生・開花・変容の空間を通して、自らの中にある魔法の力を漲らせて行きます。
人と車が共存可能な「人の温もりを感じる街づくり」を構築するために、「階段のある界隈舞台」というテーマで、幕張ロードサイドと周囲地域を繋いだ。
彼の心が見た風景は、どのような世界だったのだろうか。静寂感や不思議な透明感は、我々の心に何かを響かせてくれる。そこに秘められた彼の想いを、イコノロジーとして解析してみたい。
セカイの見方というテーマは、社会問題と私たちの日常生活をリンクさせる事で、社会問題と私たちの日常生活が繋がっているという事を表現し、見る人に「気付き serendipity」を与えることを目標としています。
お年寄り、幼い子ども達の集まる幼老統合ケアのための空間を考える。サークルがつながり重なり合うことで出来る形は、飛び出し凹み傾き拡張することで、腰をかけたり登ったり滑ったり隠れたり、ゆるやかに空間を分けたりする。この空間の中で様々な関係性が生まれ育っていく。
私たちが空間を意識する時、ある共通点を見出すことができる。それは常に包まれているという体感的なものであり、光と影、形態と質感など様々な要素が絡み合い、空間に意味を見出すことが出来る。
「おたがいさまの心」を共有し、それを促す環境づくり。商店街の小さなスペースをつなぐ「おたがいさま通り」。集まりたくなる小さなスペースを持った街の駅「往来ハウス」を活用して交流の出発点とする。
住宅は家族構成を平均化しそれを標準に置き換え作られているがゆえに、現代では住宅やマンションの広さをベースに家族構成をあてはめる傾向にあるのではないでしようか。そこで、家が伸縮してしく過程のストーリーを考えてみました。
春、輝く潟・快い風・穏やかな水面、夏、河岸の活気、水面に映るにぎやかな模様、秋、光と影のドラマ、明暗を織り込む水面、冬、路地を舞う風、水の都ベネチアを、ビバルディの四季とともにイメージする。
Nature and music harmonize 日光中禅寺湖、その豊かな自然景観を取り入れた東西一対のコンサートホール。自然のすばらしさと音楽を体感できる音楽堂の提案。
「どうして田んぽの歴史は見えにくいのだろう」。利根川の治水と稲作の歴史を掘り起し、その歴史と水田の魅力を伝えられる施設を目指して、公園という遊び場の形で表現した。
space/sp_kat音楽と造形という異なる分野の芸術を結びつけることで領域のない芸術表現を行いたかった。その手法として客観的な視点から第九を分析・評価し体系化した「三次元スコア」と主観的な解釈やイメージにより形をつくった「歓喜への扉」の2つの方法でこれらを表現した。
自然を愛し、人を慈しみ、コミュニケーションを大切にする「北欧のライフスタイル」に基づく、デザイン性、機能性に優れたデザインを通じ、「働く人への優しさ」「訪れる人の記憶を呼び戻す空間」そして「人と自然の共存」が最優先のクリニック環境づくりを目指す。
様々な目的を持った人々が季節や天候に妨げられることなく使用できるユニット式の移動施設。交流の場とするための仕掛けとして、遊びの要素を取り入れた装置として提案。
“The Great Gatsby”が書かれてから80年以上の時が経つにもかかわらず、わたしはこの小説を読むたびに自分の生活をフィッツジェラルドの描いた世界と彼の社会に対する感情に重ね合わせ、深い共感を覚える。私たちが置き去りにしてきた大切なもの、清らかな夢や希望があるという小説のメッセージを表現した。
人は誰しも人へと伝えたい「想い」がある。その想いがこぼれ落ちたとき、それはどのような形となって現れるのであろう。そしてその現れた空間は、他者に対してどのような関係を築くであろう。そんな興味から始まった一滴の雫は細波立つように、あなたの心に届くだろうか。
観光都市であり、私自身の地元でもある奈良県奈良町の夜の演出としての「あかり」を取り上げる。街並みをキャンバスに、光と影が作り出す美しさを、奈良の伝統的な季節の行事と組み合わせて“おとなあかり”として提案する。